04.4.21 |
福田ミチ |
旧宇都宮第一陸軍病院の従軍看護婦の見た終戦前後の混乱や、南方からの栄養失調の悲惨な兵士 |
04.4.21 |
岡野 弘 |
昭和20年6月7日、大阪大空襲時の市内の悲惨な有り様と父の焼死体探し |
04.4.21 |
福岡重勝 |
唯一のアメリカ本土攻撃の風船爆弾の実態と大津基地からの放球状況 |
04.5.1 |
和泉 徹 |
南方からの白木の箱の中身は様々だった |
04.5.7 |
吉岡芳郎 |
北海道アイカップ岬にある沈没輸送船の慰霊記念碑 |
04.5.7 |
和泉 徹 |
淡路島鎧ケ岬に立つ少年戦士の墓と慈母観音像 |
04.5.18 |
本多まさ子 |
広島、長崎の原爆に隠れている豊川海軍工廠の凄惨な爆撃。 |
04.6.1 |
近藤 一 |
捕虜を送り返した八路軍、沖縄住民を守らなかった軍隊。 |
04.6.10 |
伊藤 鶴 代 |
18歳の少女が受けた長崎の痛恨の日の思い出 |
04.6.14 |
後藤守雄 |
昭和20年3月10日都民12万人の犠牲者が出た大空襲の実態 |
04.06.28 |
坂東正子 |
昭和20年7月3日徳島空襲で逃げまどう17歳の少女と家族 |
04.7.20 |
渋木喜一郎 |
下北半島宇曾利に有ったタコ部屋の悲惨な実態 |
04.7.21 |
室井幸吉 |
天皇の命と言う事で欲しいままに暴力を振るわれた兵隊 |
05.6.11 |
秋元 実 |
軍隊という真空地帯にいて、永らく、女っ気のない.殺伐とした内務班に長居していると、地方という一般社会ではどんなにマトモな人間でも、どこかオカシクなってくるものですが、どの班にも、その典型として、初年兵をいたぶることにサディスティックな快感を覚え、それで、万事不如意の兵隊屋敷の憂さ晴らしをする、何人かの古年次兵がいました。 |
05.07.1 |
京 土竜 |
竹矢来に囲まれた脱走兵の家、一家は死んで天皇に詫びるしか無かった |
06.03.11 06.04.12 |
炎の風に追われて(1)(2) 福島ヨシエ |
45.3.10日の東京大空襲で10万余名が命を絶った、生き残った少女の悲惨な手記。 亀戸本所深川両国は焼死体の山、地獄絵図だった。 |
07.03.11 |
京 土竜 |
昭和15年に御羽車へ投石した報道されなかった事件 |
07.03.11 |
近藤 一 |
軍隊の残酷な教育、中国で赤子を谷に投げ捨てる日本兵、沖縄では誰の為に戦ったのか。 |
07.10.10 |
松浦アヤ子 |
原爆投下の長崎で鉄板1枚の下で助かった被爆体験記、瞬時に焼き殺され、炭になった人馬、死に切れないで喘ぐ人々。原爆は普通の爆弾とは全く違うことを記録を残さないでは私は死ねない。 |
08.01.10 |
私の戦場体験記 大曲 覚
|
半紙1枚に1弾撃ち込まれた硫黄島で兵は発狂者まで出して戦った、米軍の死傷者が日本兵より多かった唯一の戦場。水を求めて人も殺した。窮極には獣になる外は無い。 |
13.08.05 |
あの日の豊川工廠 本多まさ子 |
十五才の私にも白紙(徴用令)がきました、女子挺身隊員として豊川海軍工廠へ入りました。 八月七日も朝から暑い日でした・・・・・ |
13.08.15 |
鬼畜米軍に助けられて 本田まさ子 |
沖縄戦 米軍の所へ行ってみよう。赤ちゃんくらいは助けてくれるかも。 |
13.08.16 |
きのこ雲 高野 真 |
広島原爆投下、きのこ雲の下の阿鼻叫喚、どろどろに焼けた人の救護、死体収容、火葬、被爆で一人苦しむ。 |
13.08.22 |
戦時中の病院勤務 福田ミチ |
東京から運ばれて来る患者は顔は炎で炙られ目は塞がり靴の底は焼けとろけ踵の骨が露出していた。 |
13.08.31 |
私たち親子の戦時 八代美栄子 |
ヤミのルートを知らない私達に知人の奥さんが小麦粉を届けてくれた。牛乳屋に心付けをして配達を増やして貰う知恵も付いた。幼児も泣かずに空襲に耐えた。 |
13.09.30 |
風船爆弾 2 福岡 重勝 |
日本本土から奇抜な風船爆弾を飛ばしてアメリカ本土を爆撃した。 |
13.09.30 |
がんばる戦時輸送船 梶山登 |
北から南へと命懸けで航海した輸送船乗組員の記録。 |
2013.10.31 |
日本は戦争に負けたのか 吉岡芳郎 |
元武蔵野第四国民学校の生徒さん、あの時上げたお握り旨かったですか |
2014.07.01 |
東京大空襲 後藤守雄 |
昭和二十年の三月十日。東京都民の十二万の犠牲者が出た、悲惨な詳細な実態。 |
2014.08.01 |
勝手に食った軍隊初夜の夕飯 佐藤貞 |
盛られた飯を目の前に待つこと1時間、勝手に食って大目玉。 |
2014.12.01 |
神戸大空襲の夜 上畑敦子 |
女の子から見た壊滅の神戸、野草を食べていた姉は衰弱死した。 |
2015.03.01 |
召集令状に纏わる話 佐藤貞 |
召集令状は各所に有る連隊区司令部が名簿に基づいて出していた。名簿作成は役場の兵事係が関わっていて、内容が召集決定に大きく影響したので村民は赤紙は兵事係が出すものだと思うことも有った。 |
2015.03.13 |
復員引揚地、浦頭訪問記 佐藤貞 |
引揚地は浦頭と言う所で佐世保からかなり離れていた。「引揚第一歩の地」と言う碑が立っていた、外には何も無い只の海岸で、高い所に「浦頭引揚記念平和公園」が在った。 |
2015.03.13 |
千社参り 佐藤貞 |
戦時中、村内外のあらゆる神社や石塔を巡って千社参りの紙片を張り、出征兵士の武運長久を祈った。 |